2005 SPARTATHLON
(スパルタスロン ΣΠΑΡΤΑΘΑΟΝ)
スパルタスロンとは・・・
スパルタスロン(SPARTATHLON)とは、1983年より毎年9月下旬に30余国の参加からなる国際レースとして、ギリシャのアテネ〜スパルタ間246kmで開催される、世界で最も有名なウルトラマラソン大会の一つであり、最も過酷なマラソンとも言われている。世界史で有名な戦いの一つである紀元前490年の“マラトンの戦い” の史実に由来するらしい。
マラトンの戦いの最中、アテネ軍の将軍がスパルタ軍に応援を依頼するため、派遣したメッセンジャーであるフェイディピデスが「出発の翌日に」、アテネからスパルタに着いたと歴史家ヘロドトスは記している。アテネ〜スパルタ間246kmを36時間で走破したということになる。
英国RAFの空軍中佐ジョン・フォーデンは、36時間以内に現代人がアテネからスパルタへの約246kmもの距離を走破することができるものだろうかと思い、その答えを見つけ出すただ一つの方法は、ウルトラランナーである彼自身が歴史上のコースを実際に走ってみることであると考えた。
そして1982年10月8日、彼およびRAFの同僚はヘロドトスの記述に忠実に冒険を始めた。翌日、ジョン・フォーデンは、36時間以内にスパルタのレオニダス像前に到着。彼の同僚は30分前に到着した。また他の同僚は40時間未満でゴール。英国人チームは、ヘロドトスが正しいことを証明したことになる。人間は、2日で246kmを実際に走破することができたのである。
この試みの成功の後に、この競技の開拓者は、古代のランナーの奇跡を辿るために世界中からギリシャにやってくるウルトラランナーのためのレース設立構想を描き始め、このようにしてスパルタスロンは誕生した。
〜一部 国際スパルタスロン協会日本支部HPより〜
ゴール地点にあるレオニダス像とは、紀元前5世紀初頭のペルシアとの戦いで300人の兵士と共に戦死した古代スパルタ王レオニダスの像である。
ちなみに、マラソン競技の起源は同時期の話であるが、別の話のようである。マラソン競技は、アテネ近郊のマラトンという町にちなんでいる。紀元前490年、第2回ペルシア戦争の最中にマラトンに上陸したペルシアの大軍を、アテネの将軍ミルディアデス率いる重装歩兵部隊が突撃、素晴らしい戦いぶりで撃破。この朗報を伝令するために、アテネ軍の勇士がマラトンからアテネまでの約42kmを力走し力尽きたという故事である。
またちなみに、古代オリンピックが行われていたオリンピア(世界遺産オリンピア遺跡)もギリシャの別の場所である。
参加申し込みまで・・・
今年2005年のスパルタスロンは9月30日〜10月1日(日本時間)にかけて行われる。この大会は、日本人にはタレントの間寛平さんが何度も挑戦していることで知っている人がいるかと思う。自分もその一人である。このようにマラソンを走り始める前から、漠然といつかはスパルタスロンを走ってみたいなぁとは昔から思っていた。しかしフル・100kmと実際に走るにつれ、そしてスパルタスロンの距離と高低差を知るにつれて、それは果てしなく困難な道であることが分かってきた。
それでも今年の正月に、今年の目標はスパルタスロン完走となんとなく決めた。スパルタスロンのために休みが取れるかは別問題としても、約250kmという果てしない距離を一度体験しておきたくて、「さくら道国際ネイチャーラン」の大会に申し込んだ。初めは補欠で、それも落選してしまい、いきなりスパルタスロンに参加申し込みをしようと思っていた。しかし急遽欠員が生じたということでさくら道250kmに参加できることになり、何とか250kmを36時間以内に完走することができたのである。
「この250kmを完走できたらスパルタスロンに申し込みをしよう」と思っていたし、タイムも31時間40分と予定よりもよく、そしてとても楽しかった。それにもかかわらず、36時間以内に250kmも走りきれたことがずっと信じられなかった。実際に250kmも走ってみて、予想以上にきついと感じた。もう一度走りきれる自信は沸いてこない。周りの人たちからは大丈夫だろうとは言われていたが、しかも初の海外マラソン。しばらく参加申し込みをためらっていた。
約1ヵ月後、完走できてもできなくてもいいからとようやく思えるようになり、ついに参加申し込みを決意した。
大会の特徴・・・
大会参加前に聞いていた情報
前半1/3はエーゲ海を見ながらの比較的平坦?な道。そして夜〜翌日にかけて高低差1000m程度の山間部を走るらしい。天候は日中27℃くらいで比較的穏やかだが、山間部は夜5℃くらいで雨や霧が続くこともあるとのこと。日本語は通じない(当たり前)。3kmから5kmおきに給水所はあるが水はぬるかったり、軽食はぱさぱさした現地のものだったりするらしい。でも各給水所に自分で荷物を預けられるので、エネルギー源を預けておくらしい。そしてゴールのスパルタでは現地の人たちの熱烈な歓迎で、完走者は英雄のような扱いをしてくれるらしい。
<コース図 & 高低図>
スパルタスロン完走に向けて・・・
7月半ば、ついにナンバーカードが到着した。自分のナンバーは215。そしてコース、エイドの紹介、競技規則等も送られてきたが、ギリシャ語や英語なので少しびっくり。当然ではあるが、さすがだなぁと感じた。日本支部で翻訳してくれたものも同封されていたので非常に助かるが、英語くらいは読んでみる。大会への気持ちが高まってきた。
向こうでの宿泊や食事は選手村のホテルが無料で用意されていたりしていて、一応問題ないようになっているようなので、航空券の手配をする。日本からギリシャへの直行便はないので、ヨーロッパ経由で往復20万円くらいの航空券を予約した。東南アジア経由だともう少し安いが、初めての一人での海外旅行と言うこともあって不安なので、なんとなくパス。あとは会社の休みも認めてもらえたので、一応行く準備はできた。
あとは体の準備である。コースが非常にタフだし、もともと僕は脚の筋肉が弱いので脚筋力の強化が欠かせないと考えた。ジムのマシンでの筋トレも考えたが、やはりランニングの筋トレの基本はランニングである。坂道を多く走ることで、負荷を大きくして効率的に脚筋力を鍛える。160km地点付近にある約1000mのサンガス山越えのためにも坂道トレーニングだ。スパルタスロンは9月最終日なので、1ヶ月前の8月を強化月間、走りこみ月間にすることに決めた。ちょうど7月末の富士登山競争、チャリの旅が終わってから切り替えだ。8月といえば非常に暑いのだが、スパルタスロンも昼間は暑いということで、暑さ対策のトレーニングにもなる。しっかり汗をかいて、正しく汗をかける体を作り、暑さにばてないようにする。スピードはあまり気にしない。体調を見極めながら強度を考え走る。
走り込みを始めると、初めはタフに感じられたトレーニングも徐々に余力を残してこなせるようになり、トレーニングの効果が実感できるようになってきた。ただ、トレーニング開始時ほどのモチベーションを維持するのは難しく、ただスパルタスロンを完走したいという気持ちだけで走り続ける。それでも走るのが嫌になるようなことはなく、走るのを嫌にならないようにということは注意してきたことであった。いくら走っても完走できる保証が得られるわけではないのだが、ただただ不安な気持ちだけが残るので走る。少しでも不安は少ないほうがいい。初参加、初海外マラソンでただでさえ心配が多いのだから。
そしてギリシャへ出発!
9月28日(水)。いよいよスパルタスロンのためにギリシャへ出発だ。成田空港を正午頃に出る飛行機で、フランス・パリ経由、ギリシャ・アテネへ。アテネの空港から、アテネ郊外の選手村となるホテルへバスで向かう。夜11時過ぎということや、地理がよく分からないことから非常に不安であったが、アテネの空港で他の日本人選手の人たちを見つけたので連れて行ってもらうことができた。ヨーロッパはサマータイムのため、日本との時差は6時間。ほぼ24時間の長旅の末、ようやくホテルに到着した。部屋は4人の相部屋で、もともと2人部屋のところに簡易ベッドを2つ無理やり並べて詰め込まれた。日本人3人とロシア人1人の相部屋であった。すでに他の3人は寝ていたので、そのままベッドに倒れこみ眠る。時差ぼけにならないように、道中ほとんど寝ないで長い1日にしていたので、とにかく眠い。
9月29日(木)。早く現地時間になれるため、朝7時にはちゃんと起床。目覚めはまあまあ。ここで自己紹介をして、ホテルの朝食。ややギリシャ料理風なのかもしれないが、普通の洋食といった感じで口には合う。そして、受付は昼過ぎにすればいいとのことで午前中時間ができたのでアテネ観光へ。アテネまでは路面電車で約1時間。オリンピックのときにできた路線のようで非常にきれい。しかも安い。全区間0.6ユーロなので100円もしない。アテネといえばアクロポリス、ということでアクロポリスのパルテノン神殿を見に行ってきた。気づいたこと。朝は涼しいのに日差しがきつい。ノラ犬が多い。やはり噂は本当のようだ。12ユーロの高い入場料を払ってアクロポリスに行ったら観光客が非常に多い。日本語もちらほら聞こえる。神殿はクレーンが入って修復中である。でも、アテネ市内から小高い丘の上に見えるパルテノン神殿は非常に神秘的で、近くで見るとなお美しい。その後、アテネオリンピックのマラソンのゴールとなった競技場へ。ああ、この黒いトラックだ。中には入れないが、僕を感動させるには十分である。そして後ろを振り返ると、ゼウスの神殿とパルテノン神殿が一度に見える。素晴らしい場所にあるんだなぁ。
今日は受付があるのでお昼にはホテルに戻る。受付を済ませた後、チェックポイント(CP)に預けておく荷物をまとめ、所定の袋に放り込んでおく。どこで上着やライトを受け取るか?どこで上着やライトを脱ぎ捨てて送り返すようにするか?小さなCPだとちゃんと荷物が届くか信用ができないという噂も耳にしたので非常に悩んだが、あまり深く考えず当日走りながら適当に対応しようということにした。預けた荷物は4つ。
・長袖ウインドブレーカー、ライト、ウエストポーチ(大)、デジカメのバッテリー、胃薬、ようかん (CP32、113.1km)
・長袖、ライト用単4電池、ロングタイツ、ようかん (CP43、148.5km)
・ようかん (CP57、186.1km)
・ようかん (CP60、195.1km)
その後開会式があり、食べ過ぎないようにでもエネルギーをためておけるようにしっかり夕食を済ませ、早めに就寝。もう時間はめちゃくちゃだが、時差ぼけは出ていないし仕上がりは納得ができるものになりそうだ。
スパルタスロン
9月30日(金)。ついにこの日がやってきた。朝4時起床。軽めに朝食をとり、6時にはスタート地点のアクロポリスへバスが出発。バスの中で、このスパルタスロンのスタートに立てることに感激の気持ちがじわりじわりと沸いてきた。わずかに残っている、昔テレビで見たあのスパルタスロン。なんときつそうなマラソンが世界にはあるんだろうと思ったあの時。まだ中学生か高校生だっただろうか。まさか自分がそのスタート地点に立つことになろうとは、そのときは夢にも思わなかった。
スタート30分前。どこだか分からずバスを降ろされ、人の流れについていくと、底は昨日行ったアクロポリスの下ではないか。朝6時半でもまだあたりは真っ暗。250人ほどのランナーや応援の人たちが記念写真を撮り、お互いに励ましあう。やはり僕と同じように感激している人が多いんだろうなと思わせる雰囲気だ。一つ残念なことは、今年も間寛平さんが走るとこっちに来てから聞いたのだが見つからないことだ。僕がこのスタートラインに立つきっかけになった寛平さんに一言声をかけてお礼を言いたかったのに。
午前7時。カウントダウンが始まり、ついにスタート。アクロポリスの丘を駆け下りていく。みんな勢いよく飛び出していくが、石畳で走りにくいこともあり抑えて抑えて。後ろを振り返ると、あのパルテノン神殿が遠く高くに見える。そして、あたりはようやく明るくなり始めた。さあ、いよいよだ。
アテネから幹線道路を西へ。朝から交通量は多いが、警察が車を止めて交通整理をやってくれながら、しばらくは一車線を借りてランナーが走っていく。朝日を浴びてアテネの街を走るのは気持ちがいい。しばらく走ると子供が紙コップで水を渡している。通り過ぎそうになったが、これがチェックポイント(CP)か?おっと、看板があったぞ。ちなみに、スパルタスロンではCPがいわゆるエイドステーション、給水・給食所となっている。5.6km地点だが、キロ5分ペースを上回ってきているぞ。初めの30kmはキロ5分半の予定だったが、初めの下り坂があったにしても早すぎる。もっとゆとりを持ってのんびり走ろう。
10km地点の手前。徐々に上り始めた。まだ市街地の町並みなのに、見かけ以上にきつい勾配だと思う。そして徐々に住宅や商店が減ってきて、町と町を結ぶ幹線道路という雰囲気になってきた。10.8kmのCP2を過ぎると、今度は長い下りに入る。そろそろランナーもばらけ始めたためか交通規制はなくなり、路肩を走る我々の横をかなりのスピードで車が通り過ぎていく。標識は80km/hとなっているが、100km/h以上は出ているに違いない。路肩もそんなに広いわけではないので、車道にはみ出さないよう気をつけて走る。
そしてこれを下りきると15.2kmのCP3が現れる。ようやく水以外の補給物が登場するが、炭酸入りのオレンジジュースには少しびっくりした。これからずっと登場することになるのだが、日本の給水所ではなかなかお目にかからない。僕は、こういう食べ物や飲み物などの補給物の違いはそれほど気になる方ではないが、こういう違いに網膜適応してエネルギー補給ができないと完走が難しくなるということもあるのかもしれない。
CP3からしばらくは平坦な道で、まずは工場や大きな船がとまっている横を抜けていく。CP4の20.5kmを通過。@時間50分。特にペースを気にしたわけではなかったが、上手く予定通りのペースにおさまってきたようなので、安心してこのまま先へ進む。
CP4を過ぎたところにちょっとした遺跡があるらしい町があり、町の中のきれいな公園を抜けたところで子供たちがハイタッチで迎えてくれる。当然それに応えてハイタッチで走り抜ける。非常に気持ちがいい。気分がよくなって飛ばしたくなってしまうが、そこは我慢だ。このまま、このまま。しばらくいくとCP5の24.2km地点。ちなみに写真の背景に写っているのはガソリンスタンドのガソリン価格表示で、多分1リットルあたり0.999ユーロと書いてあるのだと思う。だいたいどこも1ユーロ前後で、135円くらいになるから、日本と同じくらいかやや高いくらいだろうか。
ここから先は人や車が急に少なくなってきて、まずは大きな石油会社の工場(?)を抜けていく。細かなアップダウンの続く何もない道を進むと、ついにエーゲ海沿いにでた。海岸線に沿って進むアップダウンのある道で、天気がいいと景色は素晴らしいと思われる。でも今日は晴れてはいるものの少しかすんでいるので、鮮やかなエーゲ海の青い海、青い空という期待していた景色とはいかず、少し残念であった。でも、おかげで日差しがそれほどきつくなく、話に聞いていたほどは暑くないので、まだ走りやすいと思う。それで納得する。どっちがよかったかは分からない。CP7の30.5km通過は2時間46分。ここまで予定通りのキロ5分半で来たので、予定ではここから50kmまではキロ6分まで落とすことになっている。でも実際には予定のペースはあまり気にしないで、自分の感覚で走るようにはしている。
ここからは憧れのエーゲ海沿いを走ることになる。エーゲ海といっても、このあたりはその端っこにしかすぎないが、やはり日本の海とは雰囲気が違う。アップダウンやカーブが続くきつい道なのだが、まだ序盤ということやこの景色を見ながらということで、全くきつさは感じない。しばらくいくと、海沿いから少し中に入った道を進むことになる。
このスパルタスロンには、もちろん各国から選手が出場しているのだが、国ごとにカラーがあっておもしろい。韓国選手団なんかはチームでウェアをそろえていて、Nationalチームの名前やスパルタスロンの文字やデザインが入っていてかっこよかった。韓国チームは走るときにも序盤は集団で走り、助け合い声を掛け合って走っているようであった。それに比べて日本選手団は、人数が多いこともあるが特にまとまりはない。当然現地では数人で固まって行動することが多いが、走るときは思い思いの服装、ペースで走る。ちなみに、今回の大会で最も多いのは日本人で約60人。あともちろん地元ギリシャも多く、あとドイツも多かったようである。日本と韓国を除いてほとんどがヨーロッパからの参加で、韓国選手団は10人くらいだった。
さて、スパルタスロンのコースを示す「SP」の文字のついた矢印に沿ってしばらく行くと、再び海沿いの道に出る。比較的新しい道なのか広い道路で、再びきれいな景色が現れる。海沿いということはやはりアップダウンとカーブを行く。そろそろ上り坂では歩き始めるランナーがで始めた。まだ先は長いので、少しでも脚が重くなったら早めに歩くように切り替えるべきだろうが、僕の脚はまだ軽い。それでも調子に乗って飛ばすようなことは絶対にしないように気をつけるが。
途中で、4人でウェーブをして応援してくれるおもしろい人たちがいた。また、ここら辺のあるCPで僕の写真を撮ってもらうようにある応援の人に頼んだのだが、次のCPでもまた同じ人がいた。今度は向こうから写真を撮ってあげると言ってきて、はじめ気がつかなかったのだが、この後もいくつかのCPで車で先回りして迎えてくれた。なんか果物の実をくれたり、途中では車の中から声をかけてくれたりして、しばらく行ったCPでは「レオニダス像で待っているから」と言われた。本当か?と思いながら、そしてその後のCPでは見かけなくなった。 あれっ?でも後で写真を見ているとそれらの写真がないぞ。上手く撮れてなかったんだな。今回人に撮ってもらうよう頼んだ写真がいくつか上手く撮れていなかった。デジカメなのだから確認すればよかったのだが、デジカメだと上手く撮れない人が多いので注意が必要だった。
ここら辺は、空がややかすんでいても景色がきれいだ。後で写真を確認すると、空がかすんでいることだけではなく、汗の湿気でレンズが曇っていたせいか、さらに写真がぼやけてしまっている。少し残念だが仕方ない。
50km地点のCP13を通過。4時間43分。うまいこと30kmからはキロ6分にペースが落ちて、完全に予定通りだ。まだ脚は軽い。海沿いのアップダウンを景色を楽しみながら進む。
その後、海が近いのは分かるがやや内陸を走る。時々小さな町を通る。ペースダウンしている人を少しずつパスしていく。僕はまだ元気だ。ペースも落ち着いてきたし、そろそろ始まったような感じ。
ギリシャの道路にはゴミ箱がよくおかれている。とても便利なのだが、ちゃんと回収されてもいるようで、なかなかやるなと思った。ギリシャにはノラ犬が多いからそれ対策なのだろうか?と思ったりした。
各CPには水分、軽い補給物が用意されている。主に水、オレンジジュース、コーラ、ビスケット、ポテトチップ、チョコレート等があり、時々フルーツやハチミツがけのパン、等々いろいろなものがおいてあった。自分が食べなかったものはあまり覚えていない。ポテトチップで塩分を摂り、チョコレートとコーラ、オレンジジュースで糖分を摂るように心がけた。時々あるフルーツもちゃんと摂ってビタミン補給。でも、コーラの水割りは気が抜けていて、薄くて微妙な味がしていまいちだった。
まもなく大きめの町、遺跡の町コリントス。81kmの主要CPがある。しかし、その前にはきつく長い坂が待っていた。これまで快調に走り続けていたが、脚、特にふくらはぎが重くなってきた。そしてついに上り坂の途中で歩き始めてしまった。長い上り坂だなぁ。目の前のカーブまで頑張って上っていくと、その先にはまた上りが続いている。それを見るともう走って上れなくなってしまった。しばらく歩き、ようやく頂上らしいところに着いたら、何とか気力を振り絞って走り出す。上りじゃなければまだ走れる。とりあえずコリントスのCPまで行こう。そこには日本チームのサポートをしてくれる坂本さんたちがいるはずだ。(坂本さん=24時間テレビで某弁護士と一緒に走り、トレーナーとして活躍された方。日本スパルタスロン協会の会長(?))あと5kmくらいで81kmだ。あのきつい上り坂が写真では上手く表現できなかったようだ。上を向いて写真を撮ったら平坦に見えてしまうのは当たり前か。
ちょっとぼーっとしながら橋を渡ると、後ろで外人が叫んでいる。「うおーっ。」何だ?と思って橋の下を見ると、ものすごく深い谷が。明らかに人工的な谷で、どうも運河らしい。「うおーっ。Great!」僕も叫び返す。疲れてきたので、それが精一杯のコミュニケーションだ。そしてまた上り。でも、これを上りきったあのあたりがきっとCPだろう。ちょっと力を振り絞って走る。
やった。ついに81km、コリントスの主要CPに到着。8時間1分。いいペースで来たが、脚はちょっと重くなってしまった。「松下くん」声をかけられた。やはり坂本さんのチームが待っていてくれていた。坂本さんたちは日本人ランナーたちをサポートしてくれていて、ここでそうめんをいただいたあと、脚をマッサージしてもらった。脚が重くなり始めていたのに、「まだ硬くなってないから大丈夫だ。」と言われ、「えーっ、きつくなってきたのにぃ」と思ったが、なんとなく行けるような気がしてきた。あまりに気持ちがいいのでずっとこのままいたかったが、まだ先は長いので覚悟を決めて出発することにする。15分ほどの滞在だった。この先は寂しくなるらしい。
本当に何もなくなった。人の気配もない。現れたのはぶどう畑。そして今頃日差しが出てきた。エーゲ海のところで出てくれればいい景色が見られたかもしれないのに。厳しい日差しに向かって走る。微妙なアップダウンが続く。ただ、マッサージをしてもらったおかげなのか調子は良くなってきた。だんだん疲労感はなくなっていく。時々であるランナーたちは少し苦しそうだ。CPではぶどうが出てくることもあった。あまりにおいしいので食べまくる。もっと持って行くかと聞かれたが、さすがにそれはNo,
thank youだ。
コリンス遺跡(?)の脇を通り、時々村を通り、突然ぼこっと立っている岩山をすり抜け、ぶどう畑以外何もない道を、強い日差しの中走っていく。走っていくというか進んでいくという感じだろうか。走っているという意識はない。前へ前へ、少しずつ進んでいく。サングラスをしないとつらいほどの日差しだ。人もいないので、地面の矢印を頼りに進んでいく。
ようやく100km通過。100.3kmのCP28の到着タイムは10時間21分。まだキロ6分くらいで走れているようだ。いくつか小さな町を通っていく。CP29ではまたマッサージしてもらったりもした。地面の矢印を頼りに先へ進む。夜になってもこの矢印だけが頼りなんだろうなぁ。
そしていよいよちょっとした山が迫ってきて、その間をぬって進むような道になる。町や村はない。微妙にアップダウンが続く。天気が少し気になる。目の前の空が黒く怪しい。あっ、あの山に雷が落ちた。夜から明日にかけて曇りだとは聞いているが・・・。
あっ、雨が降ってきた。しかもすごい雨だ。道路を水が流れてくる。洪水だ。カメラがぬれては困る。ウエストポーチの中に小さなビニール袋があったので、とりあえずその中へ。日焼け止めも流れ落ちる。もうすぐ日が暮れるからさっぱりして気持ちいい。
でも次のCPに着く前にはやんでしまった。時間にして15分くらいだろうか。よかったよかった。おっと、カメラのレンズが曇っていることに気がついた。ティッシュで拭いてようやくレンズがクリアになった。でももうすぐ日が暮れる。写真はほとんど撮れなくなるだろう。街灯もない何もない道を進む。こんなところ夜走ったら寂しくて怖いだろうなぁ。アップダウンもあるし、さっきの雨で水溜りもたくさんできているし、走りにくそうでもある。
CP32、113.1km地点。11時間53分。ややペースは落ちてきたが、まだ余裕を持って走れている。ウインドブレーカーやヘッドライト等、夜間装備を預けておいた。ここら辺で夜を迎えるだろうと予想していたのだが、まだ19時前であたりは明るい。予定よりちょっと早かった。手遅れになるよりはいいが、しばらくは持って走る。どうせあと1時間もすれば真っ暗になってヘッドライトの出番が来る。
19時45分ごろには日が暮れて暗くなり、周りが見えにくくなってきた。ヘッドライトの出番だ。なるべく軽くて明るくて安いやつと思って探して持ってきたが、果たしてその実力は?ぽちっ。うーん、まあまあ明るい。10mくらい先の地面を照らしながら、水溜りをよけながらあっちこっちと走る。周りは何にも見えない。写真を撮っても当然真っ暗。フラッシュをたいてやっとこの程度。
一本道なので道に迷うことはないが、先が見えないので上りか下りかも予想できず突然やってくる。時々車が通ると道がライトで照らされて、多少分かる程度だ。向こうの方に明かりが見える。あそこら辺がCPなのか。
21時過ぎ、主要CPであるCP35、124km地点に到着。13時間9分。村の教会前はライトで明るく、人も集まっていてにぎやかだった。パスタを食べるかと聞かれたのでいただいたが、結構な量が入っている。でもこれからのエネルギーにと思って食べきった。おいしかった。まだ思っていたより寒くないので、ウインドブレーカーは着ないで首に巻きつけて走っている。手袋もズボンにさしたままだ。ちょうどいい気温に感じられる。
ここから山が近づき、アップダウンが大きくなってくる。上りも下りも無理をしない。下りを頑張って膝や足首にダメージをためても嫌だし。それでも前のランナーたちに徐々に追いついていく。各CPで通過ランナーと通過時間を記録しているので、それを見ながら自分のモチベーションを高めているが、前のランナーとの差はどんどん迫っていく。そして徐々に抜かしていく。周りの景色は何も見えないので、それくらいしか楽しみがない。きれいなものは星くらいだ。オリオン座が前方にきれいに見える。あとの星座はあまり分からないが、とにかくきれいだ。地面の矢印だけは見落とさないように気をつけて走る。
真っ暗で何もなくて寂しいので、ランナーに追いついたらとりあえず話をする。外人でもとりあえず挨拶をして、英語が話せるようなら僕のつたない英語で英会話。英語だと会話があまり続けられないので、Byeと言って先へ行く。別に逃げるように先に行くわけじゃないけど、まだ調子がいいので無理をしない程度でリズムを崩さないように進む。地面はとても悪い。じゃり道を走っているようで、しかも上り坂。水溜りも点在しているのでよけながら走るが、時々発見が遅れてはまる。
時々到着する町のCPは明るいし人がたくさんいるのでほっとする。うれしくて話をしたくなる。英会話の練習にいいなぁ。こっちから英語で話がしたくなるなんて。でも大した話はできない。英語力の問題もあるが、頭をあまり働かせたくないので何も考えずにしゃべるから。とりあえずCPではオレンジジュース、コーラ、ポテトチップ、チョコレートを補給。
途中で追いつくランナーが日本人だと、なおほっとしてしばらく話をしながら進む。女性の先頭の日本人に追いつく。年齢は僕の倍だそうだ。確かにウルトラマラソンは年齢の高い方が多く、その人は実力者で有名人だが、そんな人に負けるわけには行かない。でもいいペースで走っている。真っ暗でこっちも心細いが、女性だとなおさらだろう。しばらく併走。
大きな坂を上ったり下ったりしていくと、目の前にハイウェイのオレンジ色の光が山を登っていくのが見える。あんなに上っていくのか。ちょっとブルーになるが、どうもコースはそのハイウェイのはるか下の田舎道を進んでいく。でも頭上のハイウェイを行かないと目の前の山は越えられそうもない。案の定、激しい上り坂が待っていた。走れるわけがない。歩いて上るだけでも精一杯だ。真っ暗な曲がりくねった道を上っていく。少し上に歩いているヘッドライトが見える。あのスピードは歩いているんだと思う。寂しいから頑張って追いつく。陽気なアイルランド人だった。「一緒に行かせてくれ」二人で歩いて上る。徐々に回復してきたので走りたくなったが、こっちから言い出した手前、おいていきにくい。うまくCPのタイミングでByeと先に行く。何とか歩いて上ってハイウェイの上に出た。そしてその先にはCP47。159.3km。17時間26分。もう日付が変わって0時26分。寒くないかと聞かれるが、まだ寒くない。CPの人たちは防寒着を着て寒そうだ。でも僕はロングタイツをはいてはいるもののまだ半袖。まだ眠くもないし走れるぞ。この時まではまだ気分も乗っていた・・・。
CPをでたら左へ曲がれ。OK。左へ曲がると緑色の蛍光灯が光っている。こっちだな。そしてそのまま舗装路をさらに走って上っていく。このあとは最大の難所、サンガス山越えが待っている。しかし、行けども行けども舗装路で、次のCPまで3kmくらいのはずなのに、何もない。ちょっとおかしいなと思ったが、峠には出た。ここから激しい下り坂で、とりあえず一気に下っていく。行けども行けども何もない。ちょっと先に明かりが見え、村があるようだ。とりあえずそこまで行ってみるが、分かれ道があっても矢印がない。ここはどこだ?村は静まり返り、人の気配はない。さっきから車も通らない。これまでは大会関係者が緑色の蛍光灯を道につけながら走っていたりしていたのに。「やってしまった。」道を間違えた。電話をしようにも電話はないし、番号も分からない。急に怖くもなってきた。絶望感。しかも一気に下ってきたので、引き返すにはこの激しい上りを行かなければ行けない。
「迷っていても仕方がない。引き返そう。まだ時間は余裕がある。完走狙いならいけるはずだ。」どんどん前のランナーを抜かせて調子がよかったので、ちょっと順位も気になり始めていたが、それはあきらめ完走するために引き返すことにした。でも悔しい。「くそーっ」上りを一気に走って登り、間違えた地点まで引き返す。ここでのスピードは多分全行程の中で一番速かったのではないかと思う。悔しくて一気に走った。途中で大会関係者に会って、ショートカットルートだと言われた。好きで行ったわけじゃないぞ。言い返したかったが、英語を考えるのがめんどくさくて適当に聞き流して一気に戻る。あの緑色の蛍光灯のところまで戻ってきた。はじめにここを通過してから1時間が経過していた。1時間+体力のロス。登山道が口を開いていた。ここを行けということだったのか。確かにすごい勾配だ。
さらにテンションが上がってきたので、一気にこの山も登りにかかる。でももちろん走れる道ではない。曲がりくねった登山道沿いにおいてあるライトに沿って、自分のヘッドライトを頼りに登っていく。足を踏み外すと転落の可能性もあり、時には手もつかないと登れなくなるような岩山だ。富士登山のような道だと聞いていたが、そこまでではない。でも一気に登るのはきつく、時々呼吸を整えながら登っていく。ランナーを追い抜かすときに「道を間違えてしまったー」と騒ぎながら。20分ちょっと登って頂上に到着。CP48。前のCPから2.3kmとあるが、1時間20分かかった。
1時間20分間飲まず食わずで、とにかくのどが渇いたのでオレンジジュースをコーラを何杯ももらう。CPにいる人は一段と厚着をしている。息も少し白い。でも僕は寒くない。一気に登ってきたから。しばらく呼吸を整えてから下りに入る。これもじゃり道で勾配もきつく走りにくそうだ。
転んだら転がり落ちてしまいそうなので、ブレーキをかけながら慎重に下っていく。富士登山の下りのような感じだ。あまりスピードを出すと足首を痛めそうなので、無理をせずに下る。それでも前のランナーに追いついていく。しばらく前に追い抜いた人たちだ。ここら辺まで順位が下がったのか。でも思ったほどではなかった。女性の先頭の日本人ランナーもここにいた。
ようやく下りきって、再び真っ暗な舗装路を行く。でも今度はあたりが多少開けているようで、寂しさは少し少ない。真っ暗な道に慣れてきたからかもしれない。CPとCPの間を何とか走ってつなぐ。CPでは何か補給しなくてはと思ってジュースやコーラを飲み続けているせいか、胃が少し弱くなっているようで、早めに胃薬を飲む。結局、パンシロンを5,6袋くらい飲んだ。胃薬を飲むと少し食欲が回復するので、ポテトチップとチョコレートを食べる。ビスケットはぱさぱさしているのであまり食べる気にならない。時々ある果物は食べるが、他には食べるものはあまりない。というかあったかどうか覚えていない。そのくらいしか目に見えていなかった。
180kmを過ぎて、また日本人女性ランナーに追いつかれた。自分もそんなにペースが落ちているわけではないのでびっくりした。なんて人だ。何とかこの人についていければ・・・と思ってちょっと頑張ってついていく。15kmくらい併走したか。もう12回目のベテランらしく、道をよく知っていた。暗くて全然見えないのに、「あそこ左だよ」とか。でもしばらくいくと彼女のペースが落ちてきた。はじめはこっちもペースを落として一緒に走っていたが、「先に行っていいよ」とのことで先に行かせてもらった。一緒のほうが迷子の心配がなくて安心だが、矢印をしっかり確認しながら、後ろからちゃんとヘッドライトが追いかけてきているか確認しながら先へ進む。ここら辺は道がたくさんあって迷いそうだ。
195kmのCP60。23時間30分。24時間で200kmはちょっと厳しいか。(1時間+数kmのロスがなければ200kmは軽く越えているが。)でもさくら道のときよりも少し早いペースで、なにより体がまだ壊れていなくて元気に走れている。あのときよりタイムがよくなるかもしれない。そしてようやく夜が明けてきた。大きな道路にも出て、かなり安心感がでてきた。結局夜中は眠くならなかった。
200kmを越えたとたんに、長い上り坂が始まった。ゆっくりゆっくり走って上っていく。歩くよりは速い程度で。
しばらくいくと、全体9位、日本人2位のランナーに追いついた。だんだん迫っているのは分かっていたが、もう結構きついみたいだった。夜の装備を脱ぎ始めていたが、僕はまだこのいいリズムを崩したくなかったので、そのままの格好で先へ行く。この先はダイナミックなアップダウンの激しい道がずっと続く。チャリンコで走った北海道の北の方のような感じだ。上りは走ったり歩いたり。
CP63、206km地点で夜間装備を脱いで「スパルタまで送ってくれ」と頼んでおいた。このタイミングがこのあとの苦難を招く・・・。
雨が降ってきた。ぽつりぽつり。ざぁーっ。激しい雨に変わった。昨日はすぐにやんだが、今日はなかなかやまない。やはり道路は洪水状態。アップダウンが多いので、上から流れてくる。上着を預けてしまった直後だったので、寒くなってきた。寒い寒い。凍えるようだ。しばらく我慢して走れていたが、だんだん我慢できないくらいになってきた。あまりにも寒いのでリタイアも頭をよぎる。でもここまで来てリタイアはできない。また来年もこんな遠くまで来ないといけなくなってしまう。絶対完走してやる。
CPでゴミ袋をもらうように交渉してみた。さくら道のときみたいに、ゴミ袋に穴を開けて着ようと思ったのだ。でも向こうはよく分かってなくて、はじめ小さめのゴミ袋をくれた。無理やり着ようとしたが、小さくて入らない。bigger,bigger!やっと理解してくれた。ちょっとぶかぶかだが、直接雨に打たれるよりはましだ。逆境になると燃えてくる。なにくそ。こんなことで負けてたまるか。一気にペースを上げる。
でもそんなペースが長続きするはずはない。ペースは元に戻るが、気持ちだけは持ち続ける。「大丈夫か?」「OK!スパルタまで行くだけだ」CPごとに、自分に言い聞かせるように答える。
景色はダイナミック。でも霧がかかっていて先のほうは見えない。「ビシャーッ」前の山に雷が落ちた。おいおい、ここも周りに高いものがないから危ないんじゃないか?気持ち身を伏せながら、激しい上りは歩くし下りは駆け下りていく。時々雨がやんで日差しが差し込む。やんだかな、と思ったら再び激しい雨。なんとなく250kmというように思っていたのだが、実際には245.4kmということで、少し気が楽になった気がした。あと25kmと思っていたら約20kmだった。うーん、頑張ろう。CPにいた同じ歳くらいの人にかなり励まされた。「スパルタで待ってるからがんばれ」「OK!またあとで」がっちり握手。行くぞ。
最後の10kmくらいは一気の下りだ。曲がりくねりながら山の上からスパルタの町に下りて行くようだ。目の前は開けており、天気がよければスパルタの町が見えてくるのかもしれないが、今は雨。見通しは悪く、あまり先は見えない。下り始めると、斜め後ろにパトカーがついているのが分かる。しかも明らかに僕のペースにあわせて走っている。別に悪いことをしているわけではないけど、パトカーにつけられるとなんだか落ち着かない。最後の力を振り絞って逃げるように(?)駆け下りていく。だんだん家や車が多くなってきて、追い抜く車や対向車から声をかけられたりクラクションで歓迎してくれる。当然、家の中からや道路沿いからも声をかけてくれるので手を振って応える。
もうあと5kmくらい。さすがに飛ばしすぎたかばててきて、歩きが混ざるようになる。大きな水たまりもあちこちにできて走りにくい。もう最後の方はめんどくさいから、水たまりも気にせずはまりながら歩く。パトカーも僕の歩きに合わせてくれる。申し訳ないなぁと思いはするが、疲れた。最後のCPに到着。あと2km。29時間18分。30時間切りは間違いない。「最高の時が待ってるよ」そうだ。この先には憧れのスパルタスロン完走が待っている。ちょっと行くと町の中に入り、歓迎の声も多くなってきた。もうすぐだ。
交差点を右に曲がり、スパルタスロンの看板や国旗が連なる一本の道が見えた。この先にゴールのレオニダス像があるんだな。写真を撮っていたら、「こっちこっち」と警官に言われてしまった。分かっているけどちょっとゆっくりさせてくれ。
Victory Runだ。放送で自分が紹介されるのが分かる。もちろん手を振って応える。目の前にレオニダス像が見えてきた。思っていたより大きいんだな。「パシャ」写真を撮っていると、また「あの像に触るんだ」分かっているけどゆっくりさせてくれよ。
ついに感動の瞬間がやってきた。「やった!」レオニダス像の足にタッチ。ついにスパルタスロン完走だ!タイムは29時間37分5秒。できすぎの好タイムだ。
いい笑顔をしている。そして月桂樹の冠をかけてもらい、なんとなくギリシャ風の杯が持ってこられ、「水を飲め」と言われたので、一気に飲み干す。一気に飲もうと思い少し横からこぼれたが。そしてメダルをもらう。ずしりと重たい。これまでもらったメダルの中では一番重く、確かにこの感動に相応する重さだ。
そして、しばらくその感動に酔いしれていると、すぐに救護テントに連れて行かれた。ベッドに寝かされ、動けなくなってしまった。マッサージしてもらうも全然効かず、体を動かしたいのに上手く通じない。仕方がないので、もうホテルに行かせてもらう。シャワーを浴びて、とりあえず昼寝。
目が覚めて、再びレオニダス像へ向かうころには制限時間36時間が迫っており、続々と喜びいっぱいのランナーたちが到着していた。あぁよかった、完走できたんだよな。
そして夜にはスパルタの町の広場で、パーティーというか歓迎会というか町中あげてのイベントがあった。かなり大勢集まっていて、我々はステージに座り完走者が読み上げられたりした。花火も上がった。でもなかなか時間通りに始まらず、やはりギリシャ人はギリシャ時間で動いているんだなと思った。
翌日、バスでスパルタからアテネまで送ってもらう。いい天気で向こうの山までよく見渡せる。こんなにいい景色だったのか。今度はこの景色の中また走りに来ないと、かなとちょっと思った。バスに乗っていてもその道のりはとても長く、あぁこんなに長い距離を走ってきたんだと思った。半日以上が移動でつぶれた。そして空いている時間には再びアテネに観光に出かけた。
そして翌日にはアテネ市内のレストランでレセプション、表彰式があった。スーツがいると書いてあったので僕はスーツで参加したが、周りはジャージ姿の人が多かった。この人たちにはこれが正装なのか、と納得することにした。レストランはとてもきれいなところで、スーツで間違いがなかったと思った。そして、完走者一人一人の表彰。とてもうれしい時であった。
<主要CPの通過タイムとその走行速度>
CP | 距離 (km) | 通過時刻 | 通過タイム | 区間平均ペース | コメント |
---|---|---|---|---|---|
0 | 0 | 7:00 | |||
13 | 50.0 | 11:43 | 4時間43分 | 5分40秒/1km | |
22 | 81.0 | 15:01 | 8時間01分 | 6分22秒/1km | コリントス主要CP |
28 | 100.5 | 17:21 | 10時間21分 | 7分11秒/1km | |
35 | 124.0 | 20:09 | 13時間09分 | 7分09秒/1km | 主要CP |
43 | 148.5 | 23:11 | 16時間11分 | 7分26秒/1km | 主要CP |
52 | 172.0 | 3:37 | 20時間37分 | 11分20秒/1km | 主要CP、山越え+迷子 |
61 | 198.4 | 6:57 | 23時間57分 | 7分35秒/1km | |
70 | 230.1 | 10:54 | 27時間54分 | 7分29秒/1km | |
75 | 245.4 (Goal) | 12:37 | 29時間37分 | 6分48秒/1km |
続きは現在作成中です。近日中忘れないうちに、とりあえずゴールや表彰式までを作成する予定です。しばらくお待ちください。