2011さくら道国際ネイチャーラン
2011/4/16〜17 愛知県名古屋市〜岐阜県〜富山県〜石川県兼六園(250km)
天候 : 晴れ
記録 : 33時間36分
大会HP : http://shirotori.gujo.to/sakurainr/HP/sakurainr1.htm
さくら道国際ネイチャーラン
主 旨
太平洋と日本海を結ぶ266kmの道を、桜のトンネルで結ぼうと決意した男がいた。
御母衣ダム工事で、水没する山寺の樹齢400年を数える桜の古木が移植され、見事に蘇ったその生命力に感動したからである。
その男は名古屋と金沢を往復するバスの車掌・故佐藤良二氏である。
彼はバスの走る道沿いに、桜の苗木を黙々と植え続けた。
乏しい蓄えを注いだ。少ない休暇を使った。
2000本も植えただろうか。男は病に倒れた。
志半ばで力尽き、逝った。47歳の短い生涯だった。
清貧という言葉が改めて見直される今、「人の喜ぶことをしたい」と病魔に侵された我が身を顧みず、無償の行為を貫いた佐藤氏の生き方は、貧しくとも豊かな心を持つ、人間の幸福な姿を問いかけてくれる。
佐藤氏が夢みた″さくらのトンネル″を、走り抜けるという形でその遺志を受け継ぐとともに、「太平洋と日本海を桜でつなぐ」という大事業の完成に少しでも寄与できればと考えて、今回『太平洋と日本海を桜でつなごう
2010さくら道国際ネイチャーラン』を開催する。
〜大会ホームページより
<2011完走記>
今年のさくら道国際ネイチャーランで7回目の参加になります。
今年もいつものように3月に走る量を少し増やしましたが、これまでで一番順調に準備できていました。しかし4月の始め、あと2週間というときに右のお尻に違和感を覚えて走れなくなりました。1週間走らずにいて、何とか1時間くらいはゆっくり走れるようになりましたが、とても250kmを走り切れる気はしませんでした。
それでもこの大会は自分にとって特別な大会。3年前にここで会った相手に翌年のゴールでプロポーズし、去年の大会は2人でアベック優勝できました。今年も2人で兼六園の佐藤桜を見に行きたい。体が壊れても諦めずにゴールを目指そうと覚悟を決めました。
前日
大会前日には名古屋城近くのKKRホテルで開会式があります。今年は2人でスピーチを頼まれました。僕は、この大会が自分たちにとって特別な大会であることや決して諦めないという気持ちなどを話しました。緊張して紙を読んでいるようになってしまいましたが、まずまずだったでしょうか。1年ぶりの同窓会のような雰囲気も楽しめました。
そして今年も、晩と翌朝の食べるものを買出しに行き、2人でリラックスして食事し、21時過ぎには寝ることにしました。
スタート〜序盤
大会当日。朝4時過ぎに起きました。朝ご飯を食べて準備して、5時過ぎに出発しました。少し前まで降っていたような雨も上がり、いい天気で暖かくなるようでした。
スタートの名古屋城に行くと、ランナーや応援の人たちもたくさん集まっていました。話をしていたりすると、あっという間にスタートの時間が近づいてきました。スタートは3分ずつずれたウェーブスタートで、僕らは最終の6組目で6時15分のスタートでした。
最終組には実力者が集まっているし、自分自身は本調子でなく不安を抱えた中で走り出しだったので、周りのペースにつられないように、自分のリズムでペースを作っていくことを意識しました。一歩一歩、右足で着地する時の衝撃でお尻が痛むので、あまり飛び跳ねず足を上げるのを最小限にして走るようにしました。走りのバランスは崩さないようにしたつもりでしたが、後ろから見ていた他のランナーに走りが少しおかしいことは言われ、「やはりそうか・・・」と思いました。
スタートしてすぐに相方とも分かれて、前の方を走っていました。名古屋市街地は信号が多くて時々止まりましたが、信号待ちがなくなってくるとリズムが作れ出しました。前の組のランナーたちを追い抜いていき、30km走って岐阜に近づく頃になると位置取りも落ち着いてきました。ペースは特に設定していませんでしたが、例年と同じように1km5分ペースくらいになっていました。
今年の桜は少し遅めです。名古屋でもまだわずかに花が残っているくらいなので、もうそろそろ満開の桜が見られるでしょう。そして、金沢でもちょうど桜は満開のようです。楽しみです。
橋を渡る木曽川の桜もきれいでした。岐阜を越えて40kmが近づいてくると、少しずつアップダウンが始まります。そして天気も良くなってきましたが、風が出てきました。ちょうど桜吹雪の中を走るところもあって、その気持ちよさに少し酔ったりもしていました。
心配だったお尻の調子は、始めから違和感を覚えるものの、まだそれほど悪くなってはきていませんでした。ただ、どこまでこのまま持ってくれるかという心配には常に付きまとわれていました。
50kmのエイドでは、毎年そうめんをいただいています。もちろん今年もこれを食べないと。このエイドでは覚えてくれていて毎年声をかけてくれていましたが、今年は精神的にあまり余裕がなかったので、さっと食べるだけで行ってしまい、お話できずに残念でした。他のランナーとも全体的にあまりお話できませんでした。
60kmのみちくさ館エイドの辺りから、脚や腰の疲労とお尻の痛みを感じ始めました。やはりお尻をかばって走っていたので、その周辺の筋肉が早くに疲れてきたのかもしれません。おまけに向かい風も強くなってきて、前に進むのが苦しくなってきました。少しペースを落とさざるを得ません。ただ、天気は良くて長良川沿いの景色はきれいです。少しは気がまぎれます。
65kmの道の駅美並のエイドには郡上市長さんがいました。大会開催のお礼は言いたかったので、直接話せてよかったです。
さらに長良川を遡って行きますが、まだ11時45分くらいだったので、毎年このあたりで聞いている正午にかかる時報の音楽は聞けませんでした。いつもより少し早かったのでしょうか。
70km手前で転倒!
しばらく進むと、小学校がありました。「先生頑張れ」の垂れ幕がかかっていて、先生と思われる人やスタッフジャンパーを着た人が応援してくれていました。地元から参加している人というのはここの先生だったんだ。ちょっとほのぼのしていると、その時・・・段差に右足が引っかかってつまずいてしまいました。やばい!
とっさに右向きに転がって受身を取ろうと思いましたが、少し間に合わず、顔と左肩から落ちていきました。同時に左ひざも打ち、手に持っていたデジカメは飛んでいきました。いてて・・・。「大丈夫ですか?!」先生やスタッフの人たちが駆け寄ってきてくれました。しばらく立ち上がれません。一瞬、「終わった」と思いました。しかし、冷静になって被害状況を確認することにしました。左ほほからは血が滴り落ちています。左ひざからも血が流れています。他にも細かな擦り傷がたくさんあり、左肩と右手も痛いです。ゆっくり立ち上がってみます。幸い打ち身はひどくなさそうです。歩くことはできます。
「救護を呼びますから」「ありがとうございます。その前にどこかで傷口を洗えますか?」小学校の水道を借りて傷口を洗えました。保健室から救急箱を持ってきてくれ、何とか応急処置はできました。
「行きます!」「救護を呼んだから、追いついたら手当てしてもらってくださいね」何となくファイトが沸いてきて走りだせました。打ち身の痛みは余りありません。しばらく休んだおかげか、むしろ調子よく走って行けました。
普段なら何でもない小さな段差でしたが、あまり足を上げたくなかったことや疲れてきたことなどで思ったよりも足が上がらず、つまずいてしまったのでしょう。完全に油断していたので受身も遅れてしまいました。
再び走り出せはしましたが、それも長くは持ちませんでした。75km付近で脚が重くなってきて、向かい風も強くてついに歩き出してしまいました。あぁ、情けない・・・。75kmのエイドには再び郡上市長さんがいました。傷を気遣ってくれましたが、「開会式では“Never
give up!”と言ってしまったので諦めません」と言ってしまいました。もう気持ちは折れそうなのに。まだ時間は早いし、とにかく少しずつでも前に進むしかありません。相方とも約束したし、自分からは決してやめません。
結構歩いているのに、なかなか後ろからランナーが来てくれません。相方がいつ来るかというのもずっと気になりました。エイドで聞くところによると、僕が転んだことはすでに相方は知っているとのことでした。どんな顔して会えばいいんだろう。
95kmのエイドで休んでいると、ついに相方が追いついてきました。なんとも言えない気分です。とりあえず笑顔で「大丈夫」と言うしかありません。「絶対兼六園まで行くから」
一緒にエイドを出発して走り出しました。しばらく併走しましたが、何を話せばいいか分かりません。そしてきつくなってきました。「ごめん。先に行って」「いや」困りました。僕のために彼女の足を止めてしまうわけにはいきません。「絶対諦めないから。信じて」
何とか説得して先に行ってもらいました。後姿を見送るのは寂しかったですが、仕方ありません。少し吹っ切れた気にはなりましたが、最後までたどり着ける自信はありません。行ける所まで行こう。
CP1 白鳥町(100km過ぎ)〜 夜
後ろから来るランナーたちには、色々声をかけてもらいました。みんな苦しんでいるのを見ると、自分だけ諦めてしまうわけにはいきません。何とか100km過ぎの白鳥町、最初のチェックポイントにたどり着きました。
駅前のエイドに向けて曲がろうとした時、ちょうど相方が出てきました。また会えてよかった。兼六園の佐藤桜で会う約束をしっかりして見送りました。
エイドでは、元看護婦さんが傷の手当をしてくれました。一応、ガーゼやテープをそれほど気にならないようにしてくれました。少しずつ日が傾いてきて、風が冷たく寒くなってきました。しかし、まだ薄着しか預けていませんでした。夜の防寒着はこの先に預けてあります。でも、行ける所まででも行くしかありません。
一気に寒くなってきました。走れないので益々冷えます。凍えそうになりながら次のエイドに到着しました。体の心から冷えてしまったのでストーブに当たらせてもらったら、動けなくなってしまいました。行くランナー行くランナーを見送っても腰が上がりません。3年前にリタイアした時と同じ感じだ・・・。ダメかもしれない。
エイドの閉鎖時刻18時半まであと1時間30分になりました。歩きながら行くならそろそろ行かないと途中で終わってしまう・・・。行くしかない。何とか重い腰を上げてテントの外に出ました。風が弱くなっていて思ったよりは寒くありません。行ける所まで、少しずつでも行くぞ。もう真っ暗になっていたのでライトを付けて進み始めました。
長い時間休んでいたおかげか、走れる時間が少し多くはなっていました。すると体も温まってきます。何とか気持ちだけは復活しました。それでもさすがに、ひるがの高原への上り坂は走れません。一歩一歩歩いて上っていきます。
分水嶺を越えて、ようやくひるがの高原の最高点のエイドに到着しました。距離の上では128kmと中間点を越えましたが、まだ半分あります。先は長いです。
所々にいてくれる知り合いの応援はとても励みになりました。ここでも温かい豚汁をはじめ、いろいろ食べ物をいただきました。でも、あまり走れていないのに食べ続けていたので、終始少し胸焼けを感じ気味でした。
ここからしばらく下っていくので気分的には少し楽になります。下りならば一応走り続けられました。今年はとてもたくさんの雪が残っていたし、特に湖沿いでは風が強いところもあって寒く感じました。氷点下を表示している情報板もありました。
いつもはこの辺りでは一人で走っていますが、今年は前後近くにランナーがいます。でもエイドごとに置いて行かれ、エイドで長居していることがよく分かりました。そうは言っても、エイドで休み休み進まないと進めないので仕方ないと諦めていました。
CP2 荘川桜(143km)
今年は満月に近くて明るいとはいっても真っ暗闇の中、ついにライトアップされた荘川桜が見えてきました。2つめのCPで143kmです。3年前にリタイアした場所で、色々な思い出があります。3年前にここで相方に会った時のことなどを思い出します。今年はあの時よりは先に進めそうです。今年は前の週に、皇居そばの千鳥が淵に移植された荘川桜を見に行ったばかりということもあり、また特別な想いで荘川桜を見られました。
少し休んでから、再び暗闇の中へ進み出しました。始めは歩いて、しばらくしてから走りと歩きを織り交ぜての歩みです。風はそれほど感じなくなっていました。
とりあえずの荘川桜から、次はとりあえず白川郷に気持ちが切り替わりました。そして、白川郷の道の駅まで行けばリタイアしても金沢まで送ってくれるはず。金沢で相方に会えるはず。ここまできたら白川郷までは行かないと、と思いました。
この区間も下りが多いので、何とか走り中心で進めました。白川郷入り口の荻町エイドに着くころには、空が少しずつ青くなり始めてきました。朝4時近くになりました。白川郷を真っ暗でないときに走るのは初めてです。これまでとは違った景色が見られて新鮮でした。今年の白川郷は雪が多く、頭より上まで積み上げられているところもありました。
CP3 白川郷(168km) 朝
白川郷の道の駅に到着しました。CP3、168kmです。ちょうどライトが必要なくなりました。これで一安心しましたが、お尻の痛みはあるものの、元気になってきました。制限時間まではまだ1時間半あるし、まだ進みます。次の目標は五箇山の山越え前です。
走る前から痛み止めを飲み続けてきました。1包で大体6時間くらい効果がありましたが、6時間飲むのを忘れたので痛みが大きくなってきました。慌てて飲みましたが、効き始めるのに1時間くらいかかります。しばらく我慢です。
次のエイドに着くと、相方からの伝言があると言われました。何だろうと楽しみにして聞くと、「もう止めていいから」と。「そりゃないでしょ。行きますよ。」少しうれしかったですが、ここで止めてはここまで来た意味がありません。行きます。
合掌造りの菅沼集落では屋根の葺き替えをやっていました。いい天気です。去年走った後に来たときのことを思い出しながら、五箇山の上り手前までやって来られました。もうすぐ200km。ここでひと休みしよう。
10時前になっていました。途中経過からすると、相方はそろそろゴールかな?ゴールしたら電話をくれるだろうけど、まだこないかな。着信を気にしながら、気持ちを何とか山上りに向けようとしました。ここまできたら止めてもいいだろうという気持ちを何とか抑え込んでいきました。
相方からの電話が来ないので、仕方なく覚悟を決めて出発しました。この上りはきつすぎるので、ずっと歩きます。歩いていると眠くなってきてふらふらします。足は止めずに何とか上って行き、頂点付近のエイドに到着しました。ここで相方の優勝を聞けました。ホッとしました。圏外だから連絡がないんだろう。後は僕が兼六園に行くだけだ。ここまできたらもう行くしかない。やっと覚悟が決まりました。
五箇山からの下り坂。僕は下りが得意なので、少し気を抜けるはずでした。しかしまた痛み止めを飲み忘れており、下りの方がお尻がひどく痛みました。走れません。せっかくの下りなのに歩いて下ります。少し制限時間が気になりました。
下った先のCP4の制限時間は12時だったかな?何とか11時過ぎに到着しました。毎年ここではたこ焼きを楽しみにしていますが、さすがにもうないとのことでした。仕方ない。牛丼と豆腐はおいしかったですが。
あと40kmを切りました。あと少しのような気もしてしまう不思議な感覚です。冷静に考えればまだフルマラソンくらいあるのですが。しばらく平坦な間に、少し走れるようになってきました。福光では桜が満開できれいでした。道の駅からあと25kmくらい。少し上り下りがありますが、残り5時間くらいあるので、歩いても間に合いそうになってきてようやく気が楽になってきました。
ようやく元気にはなってきました。お尻の痛みを我慢しながら、大部分は走っていられました。前のランナーに次々と追いついていきますが、さすがにみんな辛そうです。自分だけ辛いんじゃないと思えると、少し奮い立つ気がしました。
エイドごとに、あと18km、あと11km、あと7kmとゴールが見えてくるのがうれしくなります。最後のエイドの直前で相方からメールがきました。「あと少しだよ」。よし、待っててくれているみたいだ。金沢市街をあと7km。もう少しだ。
ゴールの兼六園へ
最後の直線7kmは毎年長く感じます。2年前にはプロポーズの言葉を考えながら進んだ道。去年は後ろを気にしながら進んだ道。今年は早く相方に会いたいと思いながら進む道です。
今年は金沢の桜がちょうど満開で、これまでに見たことのない観光客の多さでした。兼六園の近くでは、人を掻き分けながら走るようでした。
ようやく兼六園下の交差点に着きました。「あ!」向こうに相方が手を振ってくれているのが見えます。信号待ちの時間がもどかしいです。信号が変わり、ようやく相方と再開しました。あと少し。2人で手をつないで兼六園に入っていきます。
相方もボロボロだっただろうに、嬉しくて走って佐藤桜を目指してしまいました。ようやく辿り着けました。これまでで一番長い時間がかかりました。これまでとは一味違った喜びがあります。ここまで、相方につれてきてもらったようなものです。一人だったら間違いなく気持ちが切れていました。「兼六園で再開する」という相方との約束のおかげで諦めずに走りきれました。また、途中で声をかけてもらった人たちや、一緒に走った人たちにも感謝です。最後まで諦めなくて本当に良かったです。
佐藤桜も満開でした。想像で満開の佐藤桜を絵に描いたことはありましたが、実際には初めて見ます。
休憩所になっているホテルへ運んでもらって汗を流しましたが、擦り傷が大きくて大変でした。当然湯船には浸かれないし、シャワーだけでもお湯が傷口に滲みて痛くて、おまけに身体は疲れて上手く動かず苦労しました。白鳥町までのバスでは寝っ放しでした。
白鳥町の宿でご飯をいただいたら急に眠くなり、あっという間に眠りに落ちてしまいました。
翌日 記念植樹・閉会式
翌朝、早くに目が覚めましたが身体が動きません。そして時々気持ちが悪くなります。いつもは翌朝散歩するくらいの元気があるのですが、今回はとてもそんな気持ちはわいてきません。一番時間がかかったためか、一番ダメージも大きいようです。
それでも徐々に身体は回復してきたようで、記念植樹や閉会式、立食パーティーと楽しく過ごせました。相方と昔の想い出に浸ったりもしました。ここから始まったんだ、と。
今回は結果としてはこれまでで一番悪いかもしれません。でも、諦めずに完走できたことはとても嬉しく、自分にとってもとても大きな成果だと思います。ダメージが大きくなったことは予想できましたが、最後までやめなかったことは満足しています。心も身体も疲れ切ってしまったので、しばらく休養して充電しようと思います。